今日は現在永平寺で日常的に食されている「玄米がゆ」を紹介します。
現在の永平寺や永平寺東京別院では、玄米がゆに大豆を加えた「大豆玄米かゆ」が日常のおかゆとなっています。
実は戦後における永平寺玄米粥の歴史はそれほど古くありません。現代の栄養豊富な日常生活を送っていた若者が、永平寺に上山して突然食生活が変わると、栄養バランスがくずれビタミンBが不足し、「脚気(かっけ)」という病気にかかりやすくなるのです。実際、私自身はかかりませんでしたが、何十人という修行仲間が脚気の症状を発症して苦しみました。
そこで昭和61年、当時の永平寺七十七世貫首であられた故丹羽禅師の指導により、ビタミンB豊富な玄米粥を献立に加えるようになったのです。
そのため、それ以前に永平寺で修行した雲水にとっては、あまり玄米粥に対する思い入れはないようです。私を含め、近年永平寺を巣立った所謂青年僧にとっての懐かしき味といえるでしょう。
さて、実際に永平寺のような大きな修行道場で玄米粥を調理するのは困難です。なぜならば、玄米粥を調理するには弱火でじっくりと時間をかけて煮上げなければならず、二百名分以上の玄米粥を正攻法で作るとなると、おそらく直径3メートルくらいで、底が浅く、火力を微妙に調節できる釜が必要で、しかも点火してから3~4時間くらい煮なければいけないと思います。
それは実際日常の調理としては時間的にも場所的にも無理なため、永平寺では直径1メートル半くらいの大きな圧力釜で大豆玄米粥を調理します。これを用いれば、およそ2時間ほどで200名分の大豆玄米粥ができあがるのです。
永平寺では、一年のうちほぼ七~八割くらいの朝食がこの「大豆玄米がゆ」です。大豆の素朴な味と、玄米の野趣あふれる風味がほどよくマッチして、まさにこれこそ修行道場の味、といえる枯淡な味わいです。これをたくあんとごま塩で食べた時の絶妙な組み合わせこそ、「永平寺を代表する味」といっても過言ではありません。
実際に、修行を終えて自分の寺に帰った雲水が何かの折に久しぶりに集まって永平寺の想い出話をすると、「あのころ毎日食べていた大豆玄米粥の味が忘れられない、また食べたいなー」という話題が良く出るのです。おそらく、大豆玄米粥のほろ苦い味が、つらく厳しかった修行時代の想い出の代名詞となっているのだと思います。
さて、ではその懐かしい玄米粥を実際に作ってみましょう。
1 軽く洗った玄米50mlと水700mlを加え、
鍋で弱火で約2時間煮る
大豆玄米粥にするならば、煮る前に一晩もどした大豆をスプーンに2杯ほど加えるだけです。文章にすればたったこれだけなのですが、はっきりいって非常にむずかしい調理です。なぜならば、この少量のおかゆを炊くために2時間煮るというのはかなり難しく、火加減を少し間違えれば水分が蒸発して焦げたり空だきで火事になったりする危険さえあります。朝食のために2時間も台所に立つということ自体が普通の人には無理でしょう。
第二の方法として、永平寺のように圧力釜を使用する方法があります。圧力釜に大豆と玄米と水を入れて加熱し、回転はねが回ったら弱火に落として20分ほど加熱します。そして火を切って圧力がある程度落ちるまで待つのです。前日のうちに圧力釜で炊いておき、翌朝小鍋に移して再加熱しても良いでしょう。
この方法ならば大豆を一晩もどす必要もなく、それほど手間もかからないのですが、圧力鍋は取り扱いに注意しないと少々危険もあり、また圧力によりせっかくのビタミンBが多く失われてしまうのが大きな欠点です。